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久々の更新

2011年04月27日
アローハ、くみこです。

日本時間3月11日に大震災があってから、更新がストップしてしまいました。

大地震から1ヶ月半近く経った今も、大切な人を見つけられていない方、不自由な生活をなされている方がたくさんいるということでとても悲しく思います。行方不明の方が少しでも早く愛する人のもとへ帰れることを願っています。

私達ハワイにいる日本人、日本を愛するハワイの方々、たくさんの人が日本のことを本当に心配し、いろいろと日本や震災で被害にあわれた方のためにできることを探し、できることをしてきました。それが義援金集めだったり、音楽だったりと、さまざまな方法で形になってきています。オアフ島でコクアフェスがあったり、マウイであったり、大小様々な応援イベントがありました。もちろん今もたくさんの人が応援してくれています。日本人として、本当に感謝感謝でいっぱいです。


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地震から全く更新をしていなかったので、今更ですが私達が避難したときの様子を書いてみます。


地震のあった日、ハワイ時間では10日でしたが、妹と甥っ子2人(1号:ほぼ7歳、2号:ほぼ3歳)、日本からきていた両親と私の6人でハワイ島コナに行っていました。私が選んだ宿泊先は、コナ南部のケアウホウにあるオーシャンフロントのコンド。コンドをでたらすぐに海ですが、海面から3メートルほど上に立っている素敵なコンドでした。

夜、コナのババガンプに食事に行き、8時ごろコンドに戻ってリラックスしているときに妹の携帯がなりました。オアフに残っていたジェレミーからの連絡。日本で地震があったと…。

日本は地震が多いから、いちいち連絡しなくても大丈夫なのに

と一瞬思いましたが、テレビをつけてみると現実とは思えない映像がどのチャンネルからも流れていました。みんな息をのみ、テレビに釘づけになりました。

その後、ハワイに大きな津波が数時間後に来るという情報が流れ、予定時間は夜中の3時ごろということでした。オアフやハワイ島も避難勧告がでました。テレビでニュースを見ている間、サイレンが鳴っていましたが、私はテレビの音だと思っていました。

近くでなっていることに気づいて、テレビを消してみんなにこの後の予定を話しました。これから荷物を準備したりシャワーに入ったりして、12時にコンドから避難しようと。津波予定は夜中の3時なので、十分時間があると思っていたのですが、話の最中にコンドのマネージャーが来て、すぐに準備をして避難しろとの指示がでました。

テレビで信じられない映像をたくさん見ながらも落ち着いて行動をしていたのですが、このマネージャーの激しいノックと緊迫した口調がその落ち着きを壊しました。一人でもパニック状態の人がいると、そのパニックは簡単に伝染するんだと身をもって感じました。

私が予定していたより大分早く、10時過ぎにはコンドを慌ててでてきました。大人の不安さ、慌しさ、険しさを、何が起こっているのかよくわかっていない甥っ子1号2号でも感じたらしく、2号は大泣きをし、1号は不安がって妹にくっついていました。

指定の避難所は、コンドから車で5分もかからないショッピングセンター。でも私は直前までみていた津波の映像が頭から離れず、その場所が安全だと思えませんでした。私はiphoneを頼りに、もっと高台の高校に避難し、そこで他の車10台ほどと一緒に車内で夜を過ごしました。

頻繁になるサイレン、ハワイとはいえ凍えるような寒さの夜、トイレのない場所。他の車の人と情報交換しながら過ごした夜は忘れられません。

翌日は朝10時くらいまで道が閉鎖されてなかなかコンドに戻ることができませんでした。それでも約12時間の避難。被災地で不自由な生活をされている方に比べることのできないような短時間の避難。それでもコンドに戻ると本当に安心しました。

長い長い時間、避難生活をされている方々、落ち着く場所がない方、本当に大変な思いをされている方がまだまだたくさんいるんだと思います。少しでも早く落ち着けることができますように願っています。

ハワイからのKokuaが日本に届きますように。
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